2020年4月に金曜ロードショーとして放送される『名探偵コナン 純黒の悪夢』。
『名探偵コナン』の映画の中で「泣ける」「切ない」という話題作ですが、どんなところが泣けるのか?
また、最後のセリフの意味についても考察してみました。
もくじ:好きなところに飛べます
『名探偵コナン 純黒の悪夢』は泣けるし切ない理由は?
『名探偵コナン』の映画シリーズで泣けると言われている『純黒の悪夢』ですが、どんなところが泣けるのか?
『名探偵コナン』ファンの方のご意見を聞いてみました。
20周年に相応しい豪華なシーン
黒ずくめのNo.2RUM関係の話がメインになっている映画ということで、かなり注目していた映画でした。
最序盤でのキュラソーがスパイを探しているシーンから、公安(特にバーボン)とFBI(赤井秀一)とのカーチェイスに場面が切り替わりましたが、ここで完全に惹きつけられました。
全く物足りないと感じさせない、20周年にふさわしい映画になっているのではないか?と大いに期待することができました。
来週の #金曜ロードSHOW !は「名探偵コナン 純黒の悪夢」を放送します🤗 シリーズきっての人気キャラ「#安室透」と「#赤井秀一」が激突😱 迫力のカーチェイスとバトルシーンは必見です😤#おうちで映画#名探偵コナン#純黒の悪夢#金曜ロードショー pic.twitter.com/3amuiMhFpl
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) April 3, 2020
あまり多くは語られなかった、キュラソーの能力についてはもう少しわかりやすくしてほしかったですが、五色のカード越しに画面を見るときに大きく瞳孔が開いており、おそらくそこで「何色にもなれる」力でスパイの情報を「インプット」したのではないのかなと。その能力自体は斬新なアイデアだと評価したいと思います。
まだこの場面ではキュラソーがラムではないことが視聴者に伝わっていなかったので、緊張感もありドキドキ・ハラハラの展開でかなりみていて面白かったです。
終始キュラソーが記憶を失っており悲しげな表情も憂いがあって引き込まれました。
RUMの側近だとしても、黒ずくめのミッションは命懸けなんだということも見ていて驚きがありました。しかし、他のメンバーとは少し雰囲気が違う感じもしました。(20代/男性)
キュラソーのギャップ
コナンの宿敵である黒の組織、そのNo.2の右腕であるキュラソーが、序盤ではかなり好戦的で冷徹な印象を受けるのに、事故で記憶を失ってからは普通の優しい女性であるというギャップがまず良いと思います。
担当声優である天海祐希さんの演技もあって、より組織の構成員としてのキュラソーと、普通の女性であるキュラソーの差がわかります。
少年探偵団のメンバーたちと触れ合う姿は組織の女としての影は全くなく、それでも高い身体能力と驚異的な記憶力を示すシーンで、やっぱりこの人は序盤で見たキュラソーその人なんだと思わされました。
キュラソー「………ッッ止まれええぇぇぇぇ!!!!!!!!」
【名探偵コナン 純黒の悪夢】
メリバ大好きマンな私が涙腺崩壊したこのシーンの演出とエンディングがどういったものだったかをぜひお察しいただきたい
#お前らガチ泣きしたシーン晒せよ pic.twitter.com/me9JxYvE0B
— aL@推しは土台の上のつっかえ棒 (@naz_eagle) February 9, 2020
組織時代のキュラソーの回想シーンで、ベルモットに始末されそうになって涙を流す姿を見せていたことから、記憶を失う前も普通の優しい女性としての姿を持ち合わせていたんじゃないかと思います。
No.2の右腕として迎えられたことで、命の恩人に報いるためにより一層組織としての任務に励んだ結果が、あの好戦的な姿だったのかもしれません。
作中では安室透と赤井秀一の対決も見ものです。大きい荷物を背負ったまま格闘するあたり、赤井さんの方が格上なのが見ててよくわかります…FBIってこんな超人ぞろいなんでしょうか。ある意味黒の組織より赤井さんの方が怖いです。
最後はやっぱりキュラソーが全て持って行ってしまいました。友人が「赤井さんと安室さんを観に行ったけど、最後キュラソーで泣かされたわ」と言っていました。全くその通りです。(20代/女性)
キュラソーの人柄で泣ける
この作品の泣けるポイントは、なんと言ってもキュラソーのキャラクターです。さすが黒の組織の一員なだけあって、キュラソーは人並み外れた記憶力や身体能力を持ち、中盤までの謎の女としてのシーンでも元太を助けたり抜群のダーツの腕前を披露したりとそのかっこよさを遺憾無く発揮します。
それに加えて終盤では、灰原の正体を幼児化したシェリーだと気づいた上で組織に連れ戻そうとはせず助けたり、ジンの狙撃に遭った観覧車に取り残されたコナンたちを逃がすために自ら囮となったり、暴走する観覧車から水族館の客らを守るために自らを犠牲に特攻を仕掛けたりと心優しい一面を見せます。
彼女がどういう経緯で黒の組織に入ったのかは分かりませんが、記憶が戻った後もこのように組織を裏切って人々を守るために行動するところを見ると、記憶を失っていた時に少年探偵団と楽しく過ごしていた彼女のほうが本来の人格なのではないかとさえ感じました。
「今の自分のほうが気持ちいいの」。
これはキュラソーが組織を裏切った理由として答えたセリフですが、組織の圧力にも負けず自分を貫くこの一言に心奪われた人も多いのではないかと思っています。
また個人的には序盤で赤井、安室、キュラソーの3人で繰り広げられる疾走感のあるカーチェイスシーンも注目ポイントだと思います。(20代/女性)
『名探偵コナン 純黒の悪夢』の最後のセリフの意味を考察
続いては、『名探偵コナン 純黒の悪夢』の最後のセリフについて考察していきます。
キュラソーが少年探偵団の子供たちを助けるために観覧車を止めた後、結果的に爆発に巻き込まれて死んでしまいます。
その後、焼け跡の中からコナンがキュラソーの持っていたイルカのキーホルダーを見つけ、こう呟きます。
「メモリーじゃなくて、想い出だよ・・。黒こげになっちまったがな。」
引用:『名探偵コナン 純黒の悪夢』劇中台詞より
メモリーじゃなくて想い出と言い直したことには、何か意味があったのか?こちらもファンの方に考察していただきました。
機械的なメモリーではなく、『想い出』を強調したかった
このセリフは、原型が分からないほどの姿になり亡くなったキュラソーの遺体が持っていたイルカのストラップを見たコナンのセリフです。
ここでコナンがわざわざ「メモリー」ではなく「想い出」と言い直したのは、このストラップに込められたキュラソーの記憶には、「メモリー」という機械の容量のようにも聞こえる呼び名よりも「想い出」という人間の持つ想いが感じられる呼び名のほうが相応しいと思ったためではないかと思います。
キュラソーは、黒の組織のメンバーのキュラソーしての記憶を失って謎の女として登場していたときに少年探偵団と楽しく過ごしていただけでなく、記憶を取り戻した後は自ら組織を裏切りコナンたちを守るために行動することを選びました。
そして最後は暴走する観覧車から水族館の客を守るため、自らを犠牲にして特攻を仕掛けます。
そこには確かに、純粋な記憶としての「メモリー」だけでなく、コナンたちと過ごして楽しかったと気持ち、人々を黒の組織から守りたいという想い、そして自分を犠牲にしてでも観覧車の暴走を止める覚悟といった「想い出」が込められていたのではないか、それを、亡くなったキュラソーに代わってコナンが代弁したのではないかと考えています。(20代/女性)
子供たちとの想い出の象徴を持っていたことを強調させた
最後、少年探偵団の子どもたちが乗っていた観覧車を止めるために命を張ったキュラソー。
その時に色がついていないイルカのキーホルダーを持っていました。コナンも言っていますが、子どもたちを助けるために動いたのでなければ、死ぬ間際にそんなものを持っているはずがありません。
キュラソーが自分の身を犠牲にして観覧車を止めるシーン…
最後の黒こげになったイルカのキーホルダーがもう…..(;_;)#映画で印象に残っている死 pic.twitter.com/lZnmm4QpV7— tomo (@26mshr_29tmm) May 29, 2019
そもそも、そうでなければ観覧車を止めるために命を捨てる理由も必要もありません。
あの時点でも既に重傷を負っていたのです、動く気力がなかったとしてもおかしくありません。
それでも動いた。あの時のキュラソーは、組織の一員としてではなく、子どもたちに見せていた姿である「普通の優しい女性」だったんだと思います。
キュラソーが最後に大事にしたのは、No.2の右腕としての使命でも、高い身体能力でも、驚異的な記憶力でもなく、子どもたちとの思い出だったということでしょう。
思い出は写真などの「メモリー」として残すこともできますが、そのメモリーも本人の「思い」には適わないでしょう。
キュラソーにはメモリーがなくても、優れた記憶力があるので思い出そのものは忘れるはずがありませんが、それでも子どもたちとの絆として、あのキーホルダーを手放したくなかったんだと思います。
メモリーは記憶喪失前のキュラソーを意味している
記憶をなくしているあいだに接していた、少年探偵団の元太、光彦、歩美によって心が変わったということが読み取れました。
記憶が戻った後でも、キュラソーは少年探偵団の子どもたちと過ごした時を思い浮かべながら、灰原哀に「私はどんな色にでもなるキュラソー」とか「前の自分より今の自分の方が気分がいい」という言葉も発しており、その気持ちが、子どもたちとお揃いの白いイルカのキーホルダーを握り締めて、必死で歳の離れた友達を救おうとする姿にあらわれているのではないかなと感じました。
コナンもエピローグで「最後の最後で、あいつらが変えたのかも知れねぇな」とつぶやいており、この映画での伝えたかったことをこの一言にあらわしているのではないのかなと思っています。
メモリー(思い出、記憶)ではなくあえて想い出といったのは、メモリーは記憶喪失前のキュラソーのことを言っておりその姿より想い出(記憶喪失後のキュラソー)に変わったということをあらわしているんじゃないかなと思いました。
黒こげになったのはおなじようになってしまった彼女のことかなと。想い出は亡くなったあとも心に残るものだということをいいたいのではないのかな?とも思いましたね。(20代/男性)
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まとめ
以上、今回は『名探偵コナン 純黒の悪夢』について考察しました!
この映画はとにかくキュラソーの存在がキーとなっていて、泣けるポイントになっていますね。